2012年6月17日日曜日

淡窓詩話(16)

淡窓詩話(16)は、淡窓詩話(15)の続きです。
問 一句一聯の妙處は、古人の論を聞きて之を曉れり。篇法の妙に至りては、未だ窺ひ知ること能はず。願はくば其一端を聞かん。

少陵が律は、前半後半戴然として相關らざること、絶句二つを續きたるが如きもの多し。 却て其の高雅を覺ゆるなり。晝夢の詩(「晝夢」 二月饒睡昏々然。不獨夜短晝分眠。桃花氣暖眼自醉。春渚日落夢相牽。故郷門巷荊棘底。中原君臣豺虎邊。安得農息戰鬪。普天無吏横索(一レ)錢。)、 前半の夢多きを叙べ、後半亂世の威を叙ぶ。斷えて相關らず。「白帝城中出門」の詩(「白帝」 白帝城中雲出門。白帝城下雨翻盆。高江急峽雷霆鬪,古木蒼藤日月昏。戎馬不歸馬逸。千家今有百家存。哀々寡婦誅求盡。慟哭中原何處村。)、前半暴雨を叙べ、後半亂世の威を叙ぶ。總て相關らず。其他此類極めて多し。今人の人强て前後の照應を求む。古法を知らざるなり。或人曰はく、「李杜の詩と雖も、法則に至りては、今人の密なるに及ばず」と、妄なるかな。嚴滄浪曰はく、「詩李杜を師とするは、天子を挾んで諸侯に令するが如し」と。此言得たり。