2012年6月20日水曜日

淡窓詩話(18)

淡窓詩話(18)は、 淡窓詩話(17)の続きです。 
問 一句一聯の妙處は、古人の論を聞きて之を曉れり。篇法の妙に至りては、未だ窺ひ知ること能はず。願はくば其一端を聞かん。

七古の短篇、柳宗元が「漁翁夜傍西巖宿」(「漁翁」 漁翁夜傍西巖宿。曉汲清湘楚竹。煙銷日出不人。欸乃一聲山水綠。迴看天際中流。巖上無心雲相逐。)、「楊白花風吹渡江水(「楊白花」 楊白花風吹渡江水。坐令宮樹無顏色。搖蕩春光千萬里。茫茫曉日下長秋。哀歌未斷城鴉起。)の二首、絶妙と稱すべし。予此二首に於て、頗る短古の趣を悟ることを得たり。然れども言に傳ふべからず。大抵短篇は奇峭なるに宜し。平穩に宜しからず。

八句の七古、岑參が「今年花似去年好(「韋員外家花樹歌」 今年花似去年好。去年人到今年老。始知人老不花。可惜落花君莫掃。君家兄弟不當。列卿御史尚書郞。朝囘花底恒會客。花撲玉缸春酒香。)、衛萬が「君不見呉王宮閣臨江起」(「呉宮怨」 君不見呉王宮閣臨江起 。不珠簾江水。曉氣晴來雙閣間。潮聲夜落千門裏。勾踐城中非舊春。姑蘇臺下起黄塵。秖今惟有西江月。曾照呉王宮裏人。)の如き、雋永の味あり。法とすべきものなり。

五古の長篇は、「孔雀東南飛」を以て祖とす。之に次で少陵が「北征」則るべし。七古長篇は、大白が「憶昔洛陽董糟邱」、少陵が「將軍魏武之子孫」の如き、雅健にして則るべし。香山が五古七古、極めて長篇多し。今人の平易冗弱の門を開く者なり。則るべからず。

以上にて,問「一句一聯の妙處は、古人の論を聞きて之を曉れり。篇法の妙に至りては、未だ窺ひ知ること能はず。願はくば其一端を聞かん。」の問答は終わりです。