2012年7月5日木曜日

淡窓詩話(27)

○問 五言の起句に韻を用ふると、七言の起句に韻を用ひざると、法あることにや。


必しも法ありとも覺えず。但古人の說に、五言の起句に韻を用ふるは、突然として起すべしと云へり。「落日在簾鉤。溪邊春事幽。」(杜甫)、「酒渇愛江清。餘酣嗽晩汀。」(杜甫)の類是なり。此二起如何にも突兀たり。其他一々此の如くなるや、未だ細かに考へず。七言の起句に韻を用ひざること、盛唐にては杜子美に多し。中晩に及んで轉〻多し。或說に、七言起句の落韻は、對を以て起すべし。是れ正格なりと云へり。要するに七言の起句に韻を用ひざるは、正格に非ず。 子美の秋興八首、諸將五首などの如き、心を用ひたる詩には落韻なし。又七古の韻を換ふる處には、必ず二句づ﹅續けて韻を用ふるなり。此を以て七言の起句に韻を用ひざるは、正格に非ることを知るべし。古人云はく、五言七言音節同じからず。故に七言は初めに韻を連押すべしと、邦人唐音に通ぜず。故に音節の異同を知ること能はず。唯漢人の用法に於て、其多くして且正しきものを選んで、之に從はんのみ。