2012年7月19日木曜日

淡窓詩話(29)

【淡窓詩話29
○廣瀬孝問 古人の詩淵源する處、及び詩を學ぶの心得は如何。


「虎嘯深谷底。鷄鳴高樹巓。」とは、陸子衡の句にして、是れ亂世の物色なり。淵明之を用ひて曰、「狗吠深巷中。鷄鳴桑樹巓。」と、變じて田園の佳境となれり。予是に於て詩を作るの訣を悟る。凡そ古を學ぶ者、其面目を用ひて其風神を換ふれば、腐として新ならざることなきなり。

「暖々遠人村。依々墟里烟。犬吠深巷中。鷄鳴桑樹巓。」、「採菊東籬下。悠然見南山。山氣日月佳。飛鳥相與還。」、王摩詰一世の佳句、大抵此中より點化し來れり。善く讀む者自ら之を知らん。

「結廬在人境(出前巻)の詩は、世人遍く之を賞す。「孟夏草木長」(讀山海經 「孟夏草木長。繞屋樹扶疏。衆鳥欣託。吾亦愛吾廬。既耕亦已種。且還讀我書。窮巷隔深轍。頗廻故人車。歡言酌春酒。摘我園中蔬。微雨從東來。好風與之倶。汎覧周王傳。流觀山海圖。俯仰終宇宙。不樂復何如。」)の詩は、唯韋柳諸氏之を知るのみ。

太白の詩は、音調清越、絲竹の如し。少陵は其聲濁る、革木の如し。

「船舷暝戛雲際寺。水面月出藍田關。」(杜甫)、雲際の寺は、卽ち水面の影なり。尋常の景を點化し、變幻條忽、端倪すべからず。「魚龍囘夜水。星月動秋山。」(杜甫)、上句に由つて之を推すときは、星月秋山も、亦水中の影なれば、流水對として看るべし。浪仙が「鳥宿池中樹木(下句 僧敲月下門)」も、下句月を言へば、亦其影を言へるなり。

子美の古詩、五律學ぶ可し。七律學び易からず。絶句學ぶ可からず。

杜詩を學ぶ者は、外强内乾の弊を戒むべし。

袁中郎、「錢塘艶如花。山陰芋似草。」の句あり。詩を以て之に喩へば、摩詰は錢塘にして、蘇州は山陰なり。

青は天地の正色なり。詩此色を帶ぶるを妙とす。蘇州集の如き、一面蒼然、自ら愛すべきを覺ゆ。必しも巧拙を論ぜざるなり。

右丞が、「天老能行氣。吾師不空。遙知遠林際。不此簷間。」二の不の字、改めて亦の字に作る。始めて穩當なることを得るに似たり。


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