普段は、「淡窓詩話」を取り上げていますが、今日は、『少年詩話(野口 寧斎著述)』の中に興味深い論述があったので紹介したいと思います。
「漢詩」とは、「漢民族の詩」である、とは中国における、ある種の常識でしょう。それも一理ありますが、私が説明しているものは、それとは趣を少し異にするものと思われます。先人の作として「杜甫」や「李白」などの、現在の中国の詩人ももちろん読みますが、それ以上に「邦人」の漢詩を中心と取り扱っているつもりです。
それらの詩の中には現代の「中国」では、通じないものも多々あるそうです。現在、中国においても私が思う「漢詩」は、「中国古典詩」に分類されるものであり、そうしたこともある種関係があるかもしれません。
また、歴史も大きく違いますし、季節、地理も大きな違いです。私のような井の中の蛙には、大陸の広さは検討がつきません。ただ、それらを理由が漢詩を作らない理由にはなりませんし、今や「漢詩」という熟語は「日本的」な文学の一分野を担う存在になっているものとも思われるからです。
では、前置きはこれくらいにして、「少年詩話」の原文を紹介します。