今回は『言永 第五輯』より「字法」について学習します。
「字法」は「練字」とも言われ、文字を練ることです。
これで、説明が終わったのでは、例によって何のことかサッパリ分かりません。この字法についても、『言永』では分かりやすく解説されていました。
字法としては別段原則といふものはない。ただ如何なる場合にも最適の字があるわけで、もしその字を他の字に代へてもよいといふのでは。未だ上乗とはいへない。一字も代へることができないといふやうに適所適字であれば、いはゆる「動かぬ」字法と呼べるであらう。
『言永 第五輯』より
まさに一字たりとも無駄にしないために「字を練る」ことになります。しかし、最初は、よく分からぬ点も多くあり、そう簡単には行きません。
ただ、多読多作を通して、一字を大切にすれば少しでも「動かぬ」字法に近づけるのではないでしょうか。
さて、このように「字を練る」ことは古来多くの事例がありますが、なかでも「推敲」の故事は有名です。唐の賈島が驢馬に乗っていて、「僧推月下門」という句を得たが、「推す」がいいか、「敲く」がいいか迷っていて、苦吟しながら韓愈の行列にぶつかってしまった。供の者が賈島を捕えて韓愈の前につれていったところ、賈島は、その詩句についての苦心を語った。韓愈はしばらく考えたのち、「敲」の方がよかろうといい、賈島もそれに決め、二人は轡(たづな)を並べて帰ったとのいう故事です。
このように「推敲」の語は、一字を練ることから生まれた言葉ですが、「推敲」自体は文字だけでなく、一句の推敲、一詩の推敲などのように、また、現代では文章の推敲など広く「練る」ことを意味してるのはご承知の通りです。
さて、「字法」には、もう一つ、「文法」としての面もあります。
「賀知章」の『題袁氏別業』に「主人不相識」という句がありますが、この「不相識」を「相不識」とすると誤りで、これも「字法に合わぬ」と言われることがあります。
これなどは、現代の中国語辞典にも掲載されているようですが、「相」は「不」の前に用いることができないため、「相○」を否定する場合は、字法として「不相○」とする必要があります。
また、「相」に似た語として「互」があります。「互」は「互不○」の用法があるようです。ただし、「相」の代わりに「詩語」として用いることはないようです。これはいままで私が見かけたことがないだけなのですが、実際には、多くの詩に使われているかもしれません。
しかし、見かけない言葉、古人が使っていない言葉は、常に「詩語」でないかもしれない、「文語」かも、あるいは現代の「口語」かも、などと考える必要があると思います。このあたりのことは「詩語」に関する話題になりますので、また、あらためて学習したいと思います。
文法面の「字法」について、簡単に学習しましたが、これについてはやはり「文法」として捉えた方が(私の場合)賢明な気がします。そうしないと「字法」の範囲が広がりすぎて作詩上の「一字」が逆に疎かになりそうですから。
今後は「字法」、「文法」と二つの「法」で、なるべく考えることにします。
では、次の記事で、また、お会いしましょう。
失礼します。
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