2017年5月4日木曜日

淡窓詩話(其一)まとめ

三回に分けて掲載した最初の問い、

○長允文問 詩ヲ學ブニハ。諸體何レヲ先ニ學ビ。何レヲ後ニスベキヤ。

の部分をまとめました。

淡窓詩話 上巻

淡窓廣瀬先生著
男 範世叔校

【原文】

○長允文問 詩ヲ學ブニハ。諸體何レヲ先ニ學ビ。何レヲ後ニスベキヤ。

詩ヲ學ブノ前後。童子無學ノ輩ハ。先絶句ヲ學ビ。次ニ律詩。次ニ古詩ナルベシ。若シ學力既ニ備リテ。而後ニ詩ヲ學ブ者ハ。古詩ヨリ入ッテ律絶ニ及ボスベシ。古詩ヲ先ニシ律絶ヲ後ニスルハ。本ヨリ末ニ及ブコトナレバ順ナリ。律絶ヲ先ニシ古詩ヲ後ニスルハ。末ヨリ本ニ及ブコトナレバ逆ナリ。事ハ順ニ如クハナシ。然レドモ古詩ハ學力ナケレバ。作ルコト能ハズ。故ニ止ムコトヲ得ズシテ律絶ヲ先ニス。亦所謂倒行逆施ナリ。

我邦ノ人。詩ヲ學ブニハ。律絶ヲ先ニシテ古體ヲ後ニシ。書ヲ學ブニハ。行草ヲ先ニシテ楷隷ヲ後ニス。是レ其志速ニ成ルヲ求ムルニ在ツテ。遠大ノ慮ナシ。漢人ニ及バザル所以ナリ。

古詩ヲ學ブニハ。五古ヲ先ニスベシ。七古ハ才力富健ナルニ非レバ。作ルコト能ハズ。若シ七古ヲ學ババ。初メヨリ長篇ヲ作ルハ惡シ。先十二句十六句二十句迄ノ處ヲ作リ。能ク其意味ヲ得タル上ニテ、長篇ヲ作ルベシ。才力ナクシテ作リタル長篇ハ。散緩冗弱ニシテ。運動ノ勢ナシ。蛇ノ胴中ニ疵ヲ受ケタルガ如シ。誠ニ厭フベキノ至リナリ。五古ノ長篇モ。大略之ニ準ズベシ。

【読み】

(ちょう)允文(いんぶん)問う 詩を学ぶには、諸体何れを先に学び、何れを後にすべきや。

詩を学ぶの前後、童子無学の輩は、先ず絶句を学び、次に律詩、次に古詩なるべし。()し学力既に備わりて、而して後に詩を学ぶ者は、古詩より入って律絶に及ぼすべし。古詩を先にし律絶を後にするは、本より末に及ぶことなれば順なり。律絶を先にし古詩を後にするは、末より本に及ぶことなれば逆なり。事は順に()くはなし。(しか)れども古詩は学力なければ、作ること(あた)わず。故に止むことを得ずして律絶を先にす。亦、所謂(いわゆる)倒行(とうこう)逆施(ぎゃくし)なり。

我が邦の人、詩を学ぶには、律絶を先にして古体を後にし、書を学ぶには、行草を先にして楷隷を後にす。是れ其の志速やかに成るを求むるに在って、遠大の慮りなし。漢人に及ばざる所以なり。

古詩を学ぶには、五古を先にすべし。七古は才力富健なるに非ざれば、作ること能わず。若し七古を学ばば、初めより長篇を作るは悪し。先ず十二句十六句二十句迄の処を作り、()く其の意味を得たる上にて、長篇を作るべし。才力なくして作りたる長篇は、散緩(さんだん)冗弱(じょうじゃく)にして、運動の勢いなし。蛇の胴中に疵を受けたるが如し。誠に厭うべきの至りなり。五古の長篇も、大略之に準ずべし。

当今三都に於いて流行する体、七絶より盛んなるはなし。是れ貴人又は豪富の町人を、其の社中に引き入れんが為の計策なり。此の如きの輩、(わずか)に素読を為したる位の事にて、詩人とならんと欲す。故に絶句を外にしては、力を用うべき処なし。盟主たる者、其の情を知りたる故に、詩の妙は絶句にありと称し、古今の詩集を抄録するにも、七絶のみを取りて世に行う。但相手の多くして、其の書の行われ易からんことを(こいねが)うなり。識趣(しきしゅ)鄙陋(ひろう)なりと謂うべし。

諸体何れも其の妙処に至ることは難し。試みに童蒙(どうもう)初学の為に、入処の難易を(つい)では、絶句五律を易しとし、五古七律を中とし、七古徘律を難しとすべし。

【拙訳】

○長允文の質問。「漢詩を学ぶときは、いろいろな形式がありますが、どの形式から学習するのがいいのでしょうか?」

漢詩を学ぶときの順序としては、初心者は最初に絶句を学習し、次に律詩、そして古詩に進むのが良いでしょう。漢詩漢文に詳しい人は、古詩から学び始めて律詩、絶句と進むのが良いでしょう。

古詩から学び、律詩、絶句の順序で学習するのは根本から学ぶことになり本来の正しい順序です。律詩、絶句から学んで古詩に進むという方法は本来の順序とは逆になります。

学習するには順序通りに進めるのが基本ですが、古詩は相当の力量がなければ作ることができません。そのため止むを得ず律詩、絶句から学習しています。いわゆる「倒行逆施」ということです。

我が国の人が漢詩を学ぶときは、律詩と絶句を先に学び、古詩を後にします。また、書を学ぶときは、行書と草書を先に学び、その後、楷書、隷書を学びます。これは、まずは短期間で、その概要が分かるだけで、本筋を見据えた方法ではありません。この点が中国の人に及ばない理由です。

古詩を学ぶときは、五言古詩を先に勉強すべきです。七言古詩は相当な力がないと作ることができません。もし七言古詩を勉強するときは、初めから長篇を作らずに、まずは十二句、十六句、二十句までの短い句作りの練習をします。そして句のまとまりをよく考えてから長篇は作るべきです。こうした勉強をせずに作った長篇は、だらだらとして何を言っているのか分からない勢いのないものになります。それはまるで蛇の胴中に傷を受けたようなもので、とても忌むべきものです。五言古詩の長篇についても、ほぼ同様です。

近頃、三都で流行している詩といえば、七言絶句だけが流行っているようです。これは諸大名や富裕層の人々を、その社中に入れるための策略なのです。このような輩は、わずかに詩が読める程度で詩人になったつもりで、絶句以外のことには興味も示さないのです。各団体の主宰者は、その実情を心得ているから、漢詩の妙所は絶句にありと宣伝し、古今の詩集を抄録するときも七言絶句のみを掲載して出版している有様です。これは、団体への参加者をただ多くして、その出版物が容易にできることだけを考えたやり方です。この行為は「識趣鄙陋」と言うべきでしょう。

漢詩の形式は、どの形式であってもその妙所に至ることは簡単ではありません。とはいえ、このままでは学習が始まりませんから、初心者向けに学びやすい順序は次のようになるでしょう。最初に絶句と五言律詩から入るのがよろしいでしょう。その次に五言古詩、七言律詩を学び、それから最も難しい七言古詩、徘律へと進むのがいいでしょう。


今回の独習で使用したテキスト

『日本古典文學大系94 近世文學論集』中村幸彦(校注)(1966年)岩波書店
『新字源』小川環樹・西田太一郎・赤塚忠(編)(1968年)角川書店


今回の独習で参考にしたサイト

『漢詩作法入門講座』(URL:http://kansi.info/
『国立国会図書館デジタルコレクション』(URL:http://dl.ndl.go.jp/

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