2012年6月11日月曜日

淡窓詩話(11)

淡窓詩話(11)

問 詩を學ぶの益は、孔子の言に盡せり。然れども今の詩は古の詩に非ず。故に世儒務めて其無用を論ず。如何心得べきや。

或人嘗て余に問ふ。吾子詩を好む、詩何の益ありや。余曰はく、吾子酒を好む、酒何の益ありや。問者曰はく、何の益と云ふことなし。唯吾性の好む所なり。余曰はく、吾も赤吾性の好む所なりと。前にも云へる如く、己れが技藝の功能を説き立つること、卑むべきことなり。吾子詩を好むとも、人に對して其功能を説くこと勿れ。唯だ自己の娯の爲めと稱すべし。然れども他日後進を教育することあらんに、詩を以て教ふることあるべし。其時の爲めに、詩を學ぶの益を論ずべし。三百篇の功能は、聖人の言に昭々たれば、今改めて言ふに及ばず。後世の詩、其體變ずと雖も、其時に當りて相應の益はあるものなり。先づ唐人の詩に就て言はヾ、從軍行塞下曲を讀む時は、億萬の戦士、骨を沙場に暴すの辛苦云ふばかりなし。人君若し此旨に通ずれば、邊を開くの事あるまじ。人臣此旨に通ずれば、邊功を立つるの望はなすまじ。又宮怨の詩を讀めば、百千の宮女、怨曠の者多きこと憫むべし。人君是を知らば、縱ひ色を好むとも、無用の人を取り掠めまじ。人臣も亦色荒を以て君を誘うふまじ。其他遷謫の詩を讀めば、孤臣孽子(ゲッシ)の情を知り、亂離の詩を讀めば、蒼生塗炭の苦を知る。繁華の景を述ぶるを見ては、富貴の淫樂に耽ることを知り、閒適の詩を見ては、賢者の世を避くることを見る。何れか國を治め家を保つの鑒戒(カンカイ)に非らん。此を以て、後世の詩古の詩と差別なきことを知るべし。抑〻我邦の詩は、唐詩の國事に關係せし程のことはなく、誠に書生の慰み物なり。然れども學びたる程の益はあるべし。

(12)へ続く