2012年6月12日火曜日

淡窓詩話(12)

淡窓詩話(12)
淡窓詩話(11)の続きです。


文字を知らざる人は論なし。吾子試に讀書の人の中に於て、詩を作る人と詩を好まざる人と異なる所あるを見るべし。詩を作る人は溫潤なり。詩を好まざる人は刻薄なり。詩を作る者は通達なり。詩を作らざる者偏僻なり。詩を作る者は文雅なり。詩を作らざる者は野鄙なり。其故何ぞや。詩は情より出ずるものなり。詩を好まざるは、其人の天性に情少なきが故なり。若し之をして詩を學ばしめば、自然と情を生ずべけれども、己れが性の偏なる所よりして、勉强して學ぶこと能はず。愈〻無情の窟に墮つるものなり。凡そ人の心中を二つに分てば、意と情となり。意は是非利害を判斷して、有益の事は之を爲し、無益のことは之を爲さず。是れ意識の職なり。さて其無益と云ふことを知りつ﹅、忍び難く棄て難き所あるは、是れ情なり。故に人の死は歎きて歸らぬことと知れども、悲哀の情は止まず、憂は口に言ひたりとて、消ゆるには非れども、必ず口に言ひ、樂は心に樂んですむことなれども、亦必ず口に言ふ。是れ人情なり。若し無益の事は、一切思はず言はざるを以て善しとせば、親の喪とても、長き月日の間、勤むるには及ばざるべし。故に人にして情なきは、木石に同じ。詩文の道に於て、文は意を述ぶることを主り、詩は情を述ぶることを主る。故に無情の人は、必ず詩を作ること能はず。作りても詩にならず。此の如き人は、方正端嚴の君子なりと雖も、其行事必ず人情を盡さヾる所あるべし。孔子曰はく、「溫柔敦厚は詩の教えなり」と。溫柔敦厚の四字、唯一の情の字を形容するのみ。是れ予が弟子をして詩を學ばしむる所以なり。吾子詩を好むが故に、談此に及べり。愼んで門外漢と言ふこと勿れ。