2018年7月1日日曜日

【書籍紹介他】古文の勉強も必要だと思う今日この頃・・・

「古文の勉強も必要だと思う今日この頃・・・」です。

(今回は、近況と書籍紹介が中心の記事です。)
所謂「文語」と呼ばれるものの勉強で、中学・高校では、国語の中の「古典」分野の、さらに「古文」と呼ばれる部分で、すでに学習した事柄です。

でも、頭には、さっぱり残ってません。せいぜい、「てふてふ」が「ちょうちょう」と発音するということぐらい(恥

さて、この「てふてふ」ですが、「旧仮名遣い」と呼ばれるもので、現代の私たちからすれば、大雑把に言って「古い日本語」と言ってしまう代物です。

日常生活で、この「古い日本語」を使うことは、ほぼ皆無でしょうが、「漢詩・漢文」を趣味とする私にとっては、目にする機会の多い「少し読みにくい日本語」と言ったところでしょか。

愛読書の一つである「漢文入門(前野直彬・ちくま学芸文庫)」の中で、

訓読法は、原文を翻訳しながら読むものである。翻訳文が原文とこまかな点で差異を生ずることは、ある程度やむを得ない。しかも訓読された文は古い日本文であり、現代のわれわれとしては、それをもう一度現代日本語に訳しなおさなければならない。

と書かれている部分があります。「書き下し文」と呼ばれる漢詩・漢文を日本語として読みやすくしたものがあります。ただし「読みやすく」と言っても、それは原文を中国語としてではなく、日本語として読めるという「読みやすさ」です。そして、この「書き下し文」こそが「古い日本語」の部分になります。例えば、

 微之宅殘牡丹 微之宅の残牡丹   白居易(白楽天)
殘紅零落無人賞 残紅 零落して 人の賞する無し
雨打風摧花不全 雨打ち 風摧き 花、全からず
諸處見時猶悵望 諸処 見る時 猶ほ悵望す
況當元九小亭前 況や元九が小亭の前に当れるをや

という七言絶句の「書き下し文」を呼んで、すらすらと意味がわかる人は少ないのではないでしょうか。さらに、自分で、原文を訓読するとなれば、さらに困難さは増すでしょう。

確かに「況」は、「況や・・・をや」と訓読することなどは、様々な参考書に書いてありますが、私たちの日常の言葉とはかけ離れたものです。文末が「をや」になるような話し言葉あるいは書き言葉を日常で使う人は、そうそういないと思いますし、私も使うことはありませんし、その言葉に対して日常的な親しみもありません。

こうしたことから「古文」、言い換えるなら「文語」の勉強も必要と感じている今日この頃です(日常的に親しめるようになりたいからです)。まずは、その手始めとして「概説 文語文法(亀井孝・ちくま学芸文庫)」を購入し、なかなか楽しく読んでいるところです。

ただ、読んだから、それですぐに分かったり、読めたりするものではありませんが、まずは、「古文」とか「古典」という世界に少しでも触れることができればと思ってます。
しかし、それだけでは学習、いや復習にすらなりませんから、次は中学の口語文法の「活用形」を復習してから、高校の「古文」の復習をしようと計画しているところです。

以上、近況と、併せて書籍紹介をさせて頂きました。

では、次の記事で、また、お会いしましょう。
失礼します。

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