2012年7月3日火曜日

淡窓詩話(26)

○田中秀問 嘗て聞く邦人の詩平仄正しからず。漢人の爲さざる所多しと。如例なる處を云ふや。


孤平を忌むこと、邦人知らざるに非れども、其中に於て最も忌む所あるを知らざる者多し。五言の第二字、七言の第四字、最も孤平を忌むなり。誠に漢人の詩と邦人の詩とを合せ觀るべし。漢人には其事百にして一なり。邦人は十にして四五に居れり。平三連仄三連は、邦人極めて之を忌む。然れども仄三連は漢人に往々あり。仄三連は無し。「秋聲萬戸竹」、「星臨萬戸動」、皆仄三連なり。邦人前に仄三連あれば、對には平三連を用ふるものと思へる者あり。大いに誤れり。「寒色五陵松」、「月傍九霄多」、是れ皆平三連に非ず。たヾ「山光悦鳥性。潭影空人心。」のみ、平仄皆三連を用ひたり。是千萬中の一なり。然れども空の字を仄字にして見たる說あり。以て平三連の妄りに用ふべからざることを知るべし。孤仄と云ふこと、清人などは嫌ふ由なり。予が詩の「伏敵門頭潮拍天」と云ふ句を見て、潮を浪に改め、此處仄を用ふべしと批せり。因て清人の詩を觀るに、孤仄甚だ少なし。唐人の詩には十に一はありと覺ゆるなり。總て韻を用ひざる句は、平仄寛なり。韵を用ふる句は嚴なり。是れ仄三連はありて、平三連はなき所以なるべし。