○廣瀬孝問 古人の詩淵源する處、及び詩を學ぶの心得は如何。
「虎嘯深谷底。鷄鳴高樹巓。」とは、陸子衡の句にして、是れ亂世の物色なり。淵明之を用ひて曰、「狗吠深巷中。鷄鳴桑樹巓。」と、變じて田園の佳境となれり。予是に於て詩を作るの訣を悟る。凡そ古を學ぶ者、其面目を用ひて其風神を換ふれば、腐として新ならざることなきなり。
「暖々遠人村。依々墟里烟。犬吠深巷中。鷄鳴桑樹巓。」、「採レ菊東籬下。悠然見二南山一。山氣日月佳。飛鳥相與還。」、王摩詰一世の佳句、大抵此中より點化し來れり。善く讀む者自ら之を知らん。
「結レ廬在二人境一」(出前巻)の詩は、世人遍く之を賞す。「孟夏草木長」(讀山海經 「孟夏草木長。繞レ屋樹扶疏。衆鳥欣レ有レ託。吾亦愛二吾廬一。既耕亦已種。且還讀二我書一。窮巷隔二深轍一。頗廻二故人車一。歡言酌二春酒一。摘二我園中蔬一。微雨從レ東來。好風與レ之倶。汎覧二周王傳一。流觀二山海圖一。俯仰終二宇宙一。不レ樂復何如。」)の詩は、唯韋柳諸氏之を知るのみ。
太白の詩は、音調清越、絲竹の如し。少陵は其聲濁る、革木の如し。
「船舷暝戛雲際寺。水面月出藍田關。」(杜甫)、雲際の寺は、卽ち水面の影なり。尋常の景を點化し、變幻條忽、端倪すべからず。「魚龍囘二夜水一。星月動二秋山一。」(杜甫)、上句に由つて之を推すときは、星月秋山も、亦水中の影なれば、流水對として看るべし。浪仙が「鳥宿池中樹木(下句 僧敲月下門)」も、下句月を言へば、亦其影を言へるなり。
子美の古詩、五律學ぶ可し。七律學び易からず。絶句學ぶ可からず。
杜詩を學ぶ者は、外强内乾の弊を戒むべし。
袁中郎、「錢塘艶如レ花。山陰芋似レ草。」の句あり。詩を以て之に喩へば、摩詰は錢塘にして、蘇州は山陰なり。
青は天地の正色なり。詩此色を帶ぶるを妙とす。蘇州集の如き、一面蒼然、自ら愛すべきを覺ゆ。必しも巧拙を論ぜざるなり。
右丞が、「天老能行レ氣。吾師不レ養レ空。遙知遠林際。不レ見二此簷間一。」二の不の字、改めて亦の字に作る。始めて穩當なることを得るに似たり。
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