『「漢文とは何か」(其の二)〜漢文は中国語なのか?』において、「漢文とは」の答えとして『漢文入門』(前野直彬;筑摩書房)の定義を採用しました。
「漢文」とは中国の古典的な文を、中国語を使わずに、直接日本語として読んだ場合、その文に対してつけられた名称である。
また、「日本語として読む」ことを「訓読」と呼ぶことも勉強しました。さらには、「漢文」の原文を構成する漢字の音訓についても学習しました。
では、これだけで「漢文」を「訓読」することができるようになるのでしょうか?まだ、「訓読」に必要な「返り点」や「再読文字」などについても学習しなければ、当然読むことはできませんが、それ以前に漢字の「音訓」の勉強をしても、まだまだ読むためには準備がいるみたいです。
「音訓」から実際に読む「訓読」するときの壁は何か?
まずは、これまでの例題として引用してきた「静夜思(李白)」最初の句の「読み下し文」を挙げます。
牀前 月光を看る
漢文を読む場合、漢字の順序を変えたり、送りがなを振って日本語として読むことができる(ただし文語文である場合が多いですが)「読み下し文」としますが、漢字の部分に「振りがな」を振ってみます。
牀前(しょうぜん) 月光(げっこう)を看(み)る
このとき、牀前(しょうぜん)は「音読み」でどちらの読みも「呉音」、月光(げっこう)は「音読み」でどちらも「漢音」、看(み)は「訓読み」となっています。
実は、これが「壁」の正体です。この「音読み」の「呉音」や「漢音」などの区別、また「音読み」か「訓読み」かの区別はどのようにすれば良いのでしょうか。
この点については明確な基準とか、文法みたいなものはないようで、要は「慣習」に拠る所が大きいようです。つまり、理屈としては、先の句を次のように読むことも「好み」としてはできることになります。
牀(ねどこ)の前(まえ) 月(つき)の光(ひかり)を看(み)る
これは極端ですが、全部「訓読み」にしています。ただ、これでは「詩」としての「読んで調子がいい」といったことが失われているように思えます。ただ、理屈としては、意味が変わらなければ自由に読めることになります。
しかし、これでは何の手助けにもなりませんから、もう少し、学習してみます。ここでは『漢文訓読入門』(古田島洋介・湯城吉信;明治書院)に掲載されている訓読の原則を学習しました。
- 音読みは、原則「漢音」
- 仏教用語は、「呉音」が多い
- 一字で意味が独立するものは「訓読み」
- 「音読み」か「訓読み」か、迷ったら「音読み」
- 国訓は不可
これからは、こうした原則を手掛かりにして訓読を学習していきます。ただし、実際には慣習に拠る部分が多くありますから、いろいろな作品を多読することも必要になると思います。
では、「漢文とは何か?」という遠大なテーマは、少々荷が重いので、ここら辺りで終わりとして、次回からは具体的に「読む」ことを学習していきたいと思います。
今回のキーワード
漢文とは、漢文入門、訓読、返り点、再読文字、静夜思、李白、読み下し文、文語文、音読み、呉音、漢音、訓読み、漢文訓読入門
今回の勉強で使用したテキスト
前野直彬(2015年)『漢文入門』筑摩書房
加藤徹(2013年)『白文攻略 漢文法ひとり学び』白水社
古田島洋介・湯城吉信(2011年)『漢文訓読入門』明治書院
小川 環樹・西田 太一郎(1957年)『漢文入門』岩波書店
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