2017年3月7日火曜日

「漢文とは何か」(其の三)〜漢文を読む?

前回、前野直彬先生の『漢文入門』(筑摩書房)の定義を引用して「漢文」の定義を勉強しました。ここで、もう一度引用しておきましょう。

「漢文」とは中国の古典的な文を、中国語を使わずに、直接日本語として読んだ場合、その文に対してつけられた名称である。

そして、この「日本語として読む」ことを「訓読」と呼ぶことも勉強しました。今回は、この「読む」、つまり「訓読」について、もう少し勉強してみます。

漢文を訓読しても読めない?

前回、「李白」の「静夜思」を次のように訓読しました。

牀前 月光を看る、疑ふらくは是れ 地上の霜かと。頭を挙げて 山月を望み、頭を低れて 故郷を思ふ。

この訓読の中で「疑らくは」、「故郷を思」の部分は、「疑らくは」あるいは「疑わくは」と「故郷を思」と記述することが普通でしょう。

つまり、「訓読」は、私たちが普段使っている言葉ではなく、「古語」(あるいは高校の教科の「古文」と考えても良いかもしれません)で表現されているため、日本語なのに読めない、あるいは読み難いものになっています。

しかも、「う」ではなく「ふ」のような仮名遣いを「旧仮名遣い」といい、これも日常ではあまり見ることのない表記方法です。

さて、最初に私たちが訓読の対象とする「漢文」を中国では「文言文」と呼ぶことを勉強しました。この「文言文」とは、多くの中国古典を記述している昔の文語文書き言葉による文章)の中国語になります。

この「文言文」を訓読する方法が考え出された時代は、平安時代の頃と言われています。この時代の日本の書き言葉が「文語(文)」であり、「訓読」とは、(中国の)「文言文」を日本の「文語文」で読むための方法として考えられたため、現代でも訓読は文語文で表現されることがよくあります。

ちなみに、書き言葉による文章を「文語(文)」と呼ぶのに対して、話し言葉による文章を「口語(文)」と呼びますが、同様に、中国では「文言文」に対して話し言葉による文章を「白話文」と呼びます。

そのため、「訓読」による日本語としての読み方は、この「文言文」を対象とするもので、「白話文」は対象としていないようです。ただ、「白話文」を「訓読」で全く読めない訳ではないようです。当然ながら「話し言葉」としての軽快感はないようですが(私は未だ読んだことはありませんが、白話文訓読の例としては、幸田露伴訳の水滸伝が有名なようです)。

このように「漢詩漢文」を勉強していると、「古文」まで出てきて、頭の中が大混乱ということになりますが、別に試験を受けるための勉強でもありませんし、この難しさも「趣味」ならば楽しみに転化することもできる気がしています。実際、勉強して分かることが増えれば(誤解も多いですが)、楽しみも、また増えるというものです。この楽しみが「趣味」なのかもしれません。

なお、今後は、訓点には旧仮名遣い(「歴史的仮名遣い」とも呼ぶ)、訓み下し文には現代仮名遣いを使う予定ですが、何分にも「文語文」の右も左もわからぬ者が趣味で好き勝手に使うので、誤りが多々あろうかと思いますがご容赦ください。


今回のキーワード

訓読、旧仮名遣い、歴史的仮名遣い、文言文、白話文、文語文、口語文


今回の勉強で使用したテキスト

前野直彬(2015年)『漢文入門』筑摩書房
加藤徹(2013年)『白文攻略 漢文法ひとり学び』白水社
古田島洋介・湯城吉信(2011年)『漢文訓読入門』明治書院
小川 環樹・西田 太一郎(1957年)『漢文入門』岩波書店

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