◯ 中川玄佳問 詩を作るの要、何を以て先とすべきや。
2012年6月30日土曜日
2012年6月29日金曜日
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2012年6月19日火曜日
2012年6月18日月曜日
漢詩といへるに就きて(【少年詩話】「野口 寧斎著」より)
普段は、「淡窓詩話」を取り上げていますが、今日は、『少年詩話(野口 寧斎著述)』の中に興味深い論述があったので紹介したいと思います。
「漢詩」とは、「漢民族の詩」である、とは中国における、ある種の常識でしょう。それも一理ありますが、私が説明しているものは、それとは趣を少し異にするものと思われます。先人の作として「杜甫」や「李白」などの、現在の中国の詩人ももちろん読みますが、それ以上に「邦人」の漢詩を中心と取り扱っているつもりです。
それらの詩の中には現代の「中国」では、通じないものも多々あるそうです。現在、中国においても私が思う「漢詩」は、「中国古典詩」に分類されるものであり、そうしたこともある種関係があるかもしれません。
また、歴史も大きく違いますし、季節、地理も大きな違いです。私のような井の中の蛙には、大陸の広さは検討がつきません。ただ、それらを理由が漢詩を作らない理由にはなりませんし、今や「漢詩」という熟語は「日本的」な文学の一分野を担う存在になっているものとも思われるからです。
では、前置きはこれくらいにして、「少年詩話」の原文を紹介します。
「漢詩」とは、「漢民族の詩」である、とは中国における、ある種の常識でしょう。それも一理ありますが、私が説明しているものは、それとは趣を少し異にするものと思われます。先人の作として「杜甫」や「李白」などの、現在の中国の詩人ももちろん読みますが、それ以上に「邦人」の漢詩を中心と取り扱っているつもりです。
それらの詩の中には現代の「中国」では、通じないものも多々あるそうです。現在、中国においても私が思う「漢詩」は、「中国古典詩」に分類されるものであり、そうしたこともある種関係があるかもしれません。
また、歴史も大きく違いますし、季節、地理も大きな違いです。私のような井の中の蛙には、大陸の広さは検討がつきません。ただ、それらを理由が漢詩を作らない理由にはなりませんし、今や「漢詩」という熟語は「日本的」な文学の一分野を担う存在になっているものとも思われるからです。
では、前置きはこれくらいにして、「少年詩話」の原文を紹介します。
2012年6月17日日曜日
2012年6月16日土曜日
2012年6月15日金曜日
【漢詩作法入門講座】公式サイト更新情報
・「詩話を読もうー淡窓詩話」に「五家(陶王孟韋柳)の妙処及び長短は」の問答ページを追加しました。
http://kansi.info/siiwa/tansouA02.html
http://kansi.info/siiwa/tansouA02.html
2012年6月14日木曜日
2012年6月13日水曜日
2012年6月12日火曜日
公式サイト 漢詩の作り方移行完了
漢詩作法入門講座公式サイトのコンテンツのうち、漢詩の作り方編の移行が完了しました。
その他のコンテンツ、漢詩の鑑賞、中国古典、その他、などなどのコンテンツは、今後、並列的に更新して行きます。
漢字と聞くと、敬遠しがちになるものですが、少しでも多くの人の門に入る役に立てればと思います。
浅学非才の身なれば、誤りも多かろうと思いますが、
何卒よろしくお願いいたします。
2012年6月11日月曜日
2012年6月10日日曜日
2012年6月9日土曜日
2012年6月8日金曜日
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2012年6月6日水曜日
2012年6月5日火曜日
2012年6月4日月曜日
2012年6月3日日曜日
2012年6月2日土曜日
淡窓詩話(2)
○問 先生陶王孟韋柳の詩を好み玉ふと聞及べり。五家の妙處及び長短、何れの處にありや。
陶王孟韋柳の五家、予其詩を愛して之を諷詠すること、頗る熟せり。然れども其詩を詩法として之を學ぶには非ず。凡そ古今の人相及ばず。且人々の天分あり。強て古人を模倣することあるべからず。予が五家の詩に於ける、享保の人の于鱗を學び、近人の放翁を學ぶなどとは、大に同じからず。若し我門に在る者、是等の詩を模倣して、是れ我師の流派なりと云はば、大に予が本意に背くことなり。先此意を熟知すべし。
2012年6月1日金曜日
淡窓詩話(1)
「淡窓詩話」は、広瀬淡窓が門下生の問いに答えて、詩の本質、作詩の方法や心得、詩の味わい方などについて語ったものを、養子、広瀬青邨が明治初年に編集したものです。
原文は、カナまじり文ですが、ここでは、すべて平仮名表記にしました。
広瀬淡窓(ひろせ-たんそう)=(1782-1856)
江戸後期の儒者・漢詩人・教育家。豊後国日田の人。名は簡、のち建。字は廉卿、のち子基。淡窓と号す。1817年豊後日田郡堀田村に私塾、咸宜園(かんぎえん)を開き、敬天を旨とする教育を行う。門下に高野長英・大村益次郎・長三洲等を輩出す。安政3年(1856)歿、75才。
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