2019年2月13日水曜日

『呂山草堂詩話』を、もう何百回・何千回読んだ事だろうか。未だに読んで反省 頻りの今日この頃です。

もう何度読んだ事だろうか。何回読んでも一向に頭に入らないのは困ったものだ。

読んだからといって、それだけで詩がスラスラとできるわけではないけれど、躓いては読み、立ち止まっては読み、途方に暮れては読み、「平成」という時代の中でもっとも繰り返し読んだ書籍だろう。

今もまた、読んでいる。

読みながら、このブログの詩を見ると、まだまだと思う。

「三体詩」を読もうとしているけれども、読めていない部分がある。確かに江戸期、明治期の古書をテキストとして、中国古典選の三体詩の注釈も頼りにして、何とか内容はともかく体裁だけは、それっぽくなってきた。

しかし、辞典を引きちぎる、といった調べ方までは未だ道遠し。ついネットで調べて極めて狭い範囲の理解(と呼べるものではないが)しかできていない。

ましてや、作詩の観点を見失っているとも思える所も多々あるだろう。

そうした「反省」を、草堂詩話は気づかせてくれる。ただ、気づかせてくれるけれども、鈍才、いや単純に頭が悪いのだろう、すぐ忘れて、また、読んで気づくの繰り返しだ。

さあ、また読もう。気付こう。そして反省。

参考までに「呂山草堂詩話」の入手先を掲載しておきます(ただ、現在入手可能かどうかはわかりません。私自身は、遥か昔に正規ルート(?)ではなく、縁あって入手できたのもので…)。なお、定価は二千円となっていましたが、この価格も現在の価格と同一かどうか確認していません。

【申込み先】
〒731ー0113 広島市安佐南区西原四丁目23ー15―11
呂山詩書刊行会(TEL・FAX 082―871―6176)
          郵便振替 01350―5―6473 


では、次の記事で、また、お会いしましょう。
失礼します。

0 件のコメント:

コメントを投稿